大祓詞と驚愕の真実 前編
大祓詞は927年(延長5年)に完成した平安時代の法制書『延喜式』巻八
に「六月晦大祓」として掲載されている祝詞です。
ただ現在巷に普及している大祓詞は大正3年に内務省が制定したものか、
太平洋戦争後に神社本庁が制定したものに範を取った簡略版が殆どです。
ここでは六月晦大祓を掲載して、成立事情や意味などを考察してゆき、
隠されてた真実を明らかにします。
おおまかな構成を見てゆくと
1官吏が開会を宣言
2神祇官(中臣家)がこういう儀式だから拝聴せよと注意
3天皇が一族と官吏ら一堂に向かい長文の大祓詞を宣言する。
その内容は天孫降臨からの道のりとその過程で生じた罪についての説明
道具の準備、天津祝詞の太祝詞を唱えることを勧め
天津神、国津神も聞き届けてこの国のあちらこちらも感応して
大祓いの神たちによって罪は海へ流され、また飲み込まれ、吹き飛ばされ
根の底の国にまで至り、流離ううちに無くなってしまい、罪は消えるだろう
4式典官吏(卜部家)よ、お祓いの品を川に捨てて片づけるように
となっており、最重要の単語呼応は
罪 | → | 祓ひ給ひ清め給ふ事を | → | 聞こし召せ |
(揃わない箇所は補うと見通しがよくなります)
では大祓詞完全版である「六月晦大祓」本文にとりかかりますが、まずは
区切らずに一気に見ましょう。
大祓詞全文
六月の晦の大祓 十二月は之に准ふ
「集侍はれる、親王、諸王、諸臣、百官人達、諸聞召せ」と宜る。
「天皇が朝廷に仕へ奉る、比礼挂くる伴男、手襁挂くる伴男、靱負ふ伴男、
剱佩く伴男、伴男の八十伴の男を始めて、官官に仕へ奉る人達の、過ち犯し
けむ雑々の罪を、今年の六月の晦の大祓に、祓へ給ひ清め給ふ事を、
諸聞召せ」と宣る。
「高天原に神留り坐す、皇親神漏岐神漏美の命以ちて、
八百万の神等を神集へに集へ賜ひ、神議りに議り賜ひて、
『我皇御孫の命は、豊葦原の水穂国を、安国と平けく知し食せ』と事依し奉りき。
かく依し奉りし国中に、荒振る神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神拂ひに拂ひ
賜ひて、言問ひし磐根樹根立草の片葉をも言止めて、天の磐座放ち、
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて、天降し依し奉りき。
かく依し奉りし四方の国中と、大倭日高見国を、安国と定め奉りて、
下津磐根に宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて、皇御孫の命の瑞の
御舎仕へ奉りて、天の御蔭、日の御蔭と隠りまして、安国と平けく知し食さむ。
国中に成り出む、天益人等が、過ち犯しけむ雑々の罪事は、
天津罪とは、畔放ち、溝埋め、樋放ち、頻蒔き、串刺し、生剥、逆剥、屎戸、
許許太久の罪を天津罪と宜りわけて、
国津罪とは、生膚断ち、死膚断ち、白人、胡久美、己が母犯せる罪、己が子
犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪、昆虫の災、
高津神の災、高津鳥の災、畜仆し、蠱物せる罪、許許太久の罪出む。
かく出ば、天津宮事以ちて、大中臣、天津金木を、本打切り、末打断ちて、
千座の置座に置足らはして、天津菅麻を、本刈断ち、末刈切りて、
八針に取辟きて、天津祝詞の太祝詞事を宣れ。
かく宣らば、天津神は、天の磐門を押し披きて、天の八重雲を、
伊頭の千別きに千別きて聞し食さむ。
国津神は、高山の末、短山の末に上り坐して、高山の伊穂理、短山の伊穂理を
掻き別けて聞し食さむ。
かく聞し食してば、皇御孫の命の朝廷を始めて、天下四方の国には罪と云ふ罪は
在らじと、科戸の風の、天の八重雲を吹放つ事の如く、
朝の御霧夕の御霧を、朝風夕風の吹掃ふ事の如く、
大津辺に居る大船を、舳解放ち、艫解放ちて、大海原に押放つ事の如く、
彼方の繁木が本を、焼鎌の敏鎌以ちて、打拂ふ事の如く、
遺る罪はあらじと、祓ひ給ひ清め給ふ事を、
高山の末、短山の末より、佐久那太理に落ち、瀧つ速川の瀬に坐す、
瀬織津姫と云ふ神、大海原に持ち出なむ。
かく持ち出往ば、荒塩の塩の八百道の八塩道の、塩の八百会に坐す、
速開都姫と云ふ神、持ち可可呑てむ。
かく可可呑てば、気吹戸に坐す、気吹戸主と云ふ神、根の国底の国に気吹放ちてむ。
かく気吹放ちてば、根の国底の国に坐す、速佐須良姫と云ふ神、持ち佐須良比失ひてむ。
かく失ひてば、天皇が朝廷に仕へ奉る、官々の人達を始めて、天下四方には、
今日より始めて、罪と云ふ罪は在らじと、高天原に耳振立てて聞く者と、馬牽き
立てて、今年の六月の晦の夕日の降ちの大祓に祓へ給ひ清め給ふ事を、
諸聞し召せ」と宣る。
「四国の卜部等、大川道に持ち退りて祓ひ却れ」と宣る。
それでは以下にブロック分けしたものを現代語訳しながら考察していきます。
第1部 開会 神祇官(中臣家)が拝聴を促す
六月の晦の大祓 十二月は之に准ふ
「集侍はれる、親王、諸王、諸臣、百官人達、諸聞召せ」と宜る。
「天皇が朝廷に仕へ奉る、比礼挂くる伴男、手襁挂くる伴男、靱負ふ伴男、剱佩く伴男、
伴男の八十伴の男を始めて、官官に仕へ奉る人達の、過ち犯しけむ雑々の罪を、
今年の六月の晦の大祓に、祓へ給ひ清め給ふ事を、諸聞召せ」と宣る。
現代訳
六月晦の大祓い 師走の晦も同様にせよ
お集りの親王、諸王、大臣、その部下の百官ども、皆揃って拝聴せよ
天皇のために集った、ひれを掛けた者、襷を掛けた者、御膳奉仕の人々、
靫を背負った者、剣を腰に着けた者、その部下の警護の人々、その他の
役所にお仕え申し上げている役人たちが、これまでに過ち犯してきたと
思われる種々雑多な罪を、この六月の晦日の大祓の儀式で、きれいに
祓い清めて頂けるのだから、皆の者ら、よく聞くようにと宣り聞かせる。
考察
ここで成立事情としては、これは神に直接向かって申し上げる祝詞ではな
く、天皇の臣下に申し聞かすという方向である点が異色の祝詞となります。
それじゃあ一般人が唱えても意味ないのかと聞かれれば、意味はあるの
ではないかと思います。誰でも罪は犯す可能性はあるし、それに対して
言霊の幸ふ国の王がきれいに祓い清めると言っているのですから。
『日本書紀』天岩戸で「天児屋命をして、其の解除の太諄辞を掌りて
宣らしむ」とあって、これが大祓詞の基礎といえるでしょう。
そもそも日本文化の特徴として祟りを恐れるというのがあります。
日本語の持つ神秘的な力がこの国にはしっかりと影響力を持っているの
だと思えます。日本には目に見えない掟と力があり、日本の掟に逆らっ
てしまった人はしっぺ返しに遭う。
崇神天皇の頃、多くの民が疫病で死ぬと崇神天皇は天照大神と倭大国魂
神の祟りだろうと考えて皇居の外に追いやります。天皇が天照大神の祟
りを恐れるなんて私たちの感覚では理解できないですよね。
時代が下ると菅原道真が有名ですね。都の皇族、貴族は疫病や天災を道
真の祟りではないかと考えて神社を建てて祀るのですから、現代人の感
覚からしたら笑ってしまいますね。
有名どころでは崇徳上皇、平将門なども祟りを恐れられた人物です。
災いを誰かの祟りと捉えてなんとか鎮まってほしいというのが大祓の
存在理由なのだと考えられます。
第2部 荒ぶる神を従わせて皇孫が降臨
「高天原に神留り坐す、皇親神漏岐神漏美の命以ちて、
八百万の神等を神集へに集へ賜ひ、神議りに議り賜ひて、
『我皇御孫の命は、豊葦原の水穂国を、安国と平けく知し食せ』と事依し奉りき。
かく依し奉りし国中に、荒振る神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神拂ひに拂ひ
賜ひて、言問ひし磐根樹根立草の片葉をも言止めて、天の磐座放ち、
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて、天降し依し奉りき。
かく依し奉りし四方の国中と、大倭日高見国を、安国と定め奉りて、
下津磐根に宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて、皇御孫の命の瑞の
御舎仕へ奉りて、天の御蔭、日の御蔭と隠りまして、安国と平けく知し食さむ。
現代訳
高天原におられる皇親神漏岐と神漏美の仰せにより、あらゆる神々を
集めて相談されて「わが孫には豊蘆原の水穂国を安らかな国に収め
統治させよ」と任された。こう任されたのでこの国で暴れていた神々を問い詰めて追い払った。
不満を述べてた草木も騒ぎを止めて静かになったので、道を塞いでた
天の磐石を除き八重雲をかき分けかき分け、天孫を降臨させ奉じた。こうして奉じられた四方の国と大倭日高見国を安らかな国と定めて
下津磐根には宮柱を太く建て高天原に向けて千木を高くさせて、皇孫
の御殿を建て申し上げ、天を覆い、日光を覆う奥に落ち着き安らかな
国として統治された
考察
ここでの実質的な主体は伊邪那岐であり、その親である神漏岐と神漏
美の命令「わが孫(邇邇芸命?)に水穂国を統治させよ」を実行します。
それで草木に至るまで静かになったから、いよいよ皇孫が雲をかき分
けて降臨したという物語です。
つまり古事記の天孫降臨を大雑把になぞった内容なんですね。
不思議なのが大倭日高見国という国名を入れて来た事です。
素直に読むと大倭日高見国が朝廷の中心みたいな印象ですよね。
しかし「日本書紀」景行天皇27年には「東夷の中、日高見国有り。
其の国人、男女並に椎結(かみをあげ)、身を文(もどろ)けて、
人となり勇悍(いさみたけ)し。是をすべて蝦夷と曰(い)う。亦
(また)土地(くに)沃壌(こ)えて曠(ひろ)し。撃ちて取るべ
し」と侵略すべきとして挙げられている蝦夷地ですよ。
江戸時代の賀茂真淵はこれを知らないため、常にお日様が空にあるか
ら日高見なんだと訳の分からない事を言ってます。
当時の朝廷貴族でも蝦夷の認知はあっても日高見国に対する認識が低
かったのをいいことに編者が手を加えたような気がしてきます。
古事記にしろ日本書紀にしろ、国策の史書は権力争いの勝者の話です
から、そこには過剰なまでの美化と神格化があります。
対して敗者は勢力を削がれ伝承も途絶えがちですが、なんとか伝承が
継承されてる場合、敗者自身の記録はやはり話が美化される事があり
ますが、勝者が何をしたかの記録はむしろ正史より正確に残されてい
ると考えてよいのです。
私もスサノオの小説を書こうと調べていて史料からヤマタノオロチと
は古志から来た豪族だなと当初は表面的に捉えていました。
しかし出雲王家の子孫の伝承を知り愕然としました。
紀元前二世紀、三千人以上を連れて来日した徐福が土着すれば当然一
大勢力となり記録に残る筈です。しかし名前が見えません。
これはどうしてなのでしょう?
実は徐福はスサノオと名乗り出雲に上陸し、王の娘を嫁に取った上で
王と副王を拉致させ死なせて国を乗っ取ろうとしたのです。しかし出
雲は王権の交代制が出来てたためか果たせず、子を残し自身は出雲を
退却、今度はニギハヤヒに名を変えて九州に再上陸したのです。
そして九州の子孫が神武となり東征したらしいのです。
そこで出雲から既に大和に入っていた子孫物部氏と東征してきた神武
が出会って互いの神器を見せ合って、どちらも徐福の子孫だと分かり
めでたく手を握ったのです。物部の部下だった縄文族脛長彦は落胆し
て蝦夷に逃げたというのが真相のようです。
さらに古事記は柿本人麻呂が書かされた説があります。実際に古事記
に見られるリズム感ある対句表現はただの事務官吏の文章とは思えま
せん。だからこそ人々に愛されているのです。その表現力はこの大祓
詞にも同様に生きていて、どちらも彼により美しく整えられたと想像
できるのです。
人麻呂は歴史を歪める改竄を強要されて表面的には従いながらも、ど
こかでこの悪事を糾弾してやろうと企てたのだと思います。
そこでさりげなく反朝廷の象徴である蝦夷を大倭日高見国と表現して
この大祓詞に忍ばせたのではないかと思えるのです。
第3部 人々が犯した天津罪と国津罪
国中に成り出む、天益人等が、過ち犯しけむ雑々の罪事は、
天津罪とは、畔放ち、溝埋め、樋放ち、頻蒔き、串刺し、生剥、逆剥、屎戸、
許許太久の罪を天津罪と宜りわけて、
国津罪とは、生膚断ち、死膚断ち、白人、胡久美、己が母犯せる罪、己が子
犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪、昆虫の災、
高津神の災、高津鳥の災、畜仆し、蠱物せる罪、許許太久の罪出む。
現代訳
このような良き国にも幸せな人々達が犯した様々な罪が現れた。
天津罪とされるのは、畔放ちは田の畔を壊す罪。溝埋めは用水の溝を
埋める罪。樋放ちは水を送る管を壊す罪。頻蒔きは種を重ねてまく罪
。串刺しは他人の田に串を刺し占有する罪。生剥ぎは家畜の皮を生
きたまま剥ぐ罪。逆剥ぎは家畜の皮を逆側から剥ぐ罪。屎戸は屎を住
まいに等に撒く罪など。数多くの罪を天つ罪として区別を定めた。つぎに国津罪として生膚断ちは生きてる人の膚を剥ぐ罪。死膚断ちは
死人の膚を剥ぐ罪。白人は皮膚が白い先天異常。こくみは大きなこぶ。
己が母犯す罪は自分の母親と通ずる罪。己が子犯す罪は自分の娘と通
ずる罪。母と子と犯す罪は女性とその娘と通ずる罪。子と母と犯す罪
は女性とその母親と通ずる罪。畜犯す罪は畜類と通ずる罪。昆虫の災
は蛇やムカデ等地を這う虫の災禍。高つ神の災は高い山の神がなす災
禍。高つ鳥の災は鳥がもたらす災禍。畜仆し蟲物する罪は畜類を殺し
呪術をする罪など、数多くの罪が出て来るであろう。
考察
この罪の詳細を連ねた部分は簡略版の大祓詞ではカットされています。
この天津罪は農業に関する罪が五つ並んでいて、しかも古事記でスサ
ノオが犯した罪がそのまま入ってるのに気付くでしょう。これは水田
稲作を重視していたのと同時に天孫族が縄文族が畑でしてた農業を破
壊した事を物語っているのです。
家畜の皮を剥ぐ場合も縄文族は感謝を捧げる手続きをして作法に則り
行ったのを天孫族は作法を無視した、だから罪なのです。
続く国津罪になるとますます理解に苦しむ事が並びます。
生きてる人や死人の皮膚を剥ぐ事、これは一体どういう状況なのでし
ょうか? 縄文族は共同体の仲間である証に入れ墨を入れていたので
す。天孫族は捕虜や死体を縄文族から奪い辱めるために入れ墨を剥ぎ
取ったと考えられます。だから深刻な罪なのです。
白人やこくみは外見差別ですし、自分の母や子を犯す罪はあり得る罪
なのかもしれません。
問題は次の母と子と犯す罪、子と母と犯す罪で、これはまず起こらな
い特殊なケースと思われるでしょう。
しかし鉄製の武器で武装した天孫軍と旧式の銅剣で武装した縄文軍が
正面から当たったら勝敗は明らかでした。この罪はまさにの戦闘勝利
後の天孫軍が一番起こしやすい状況なのです。
そして昆虫は這う虫で蛇を含めていて、出雲でも縄を蛇状にして信仰
されてたのを徐福が破壊して紛争になった記録があります。
高津神、高津鳥の災いも高い山を歩き信仰の対象とする縄文族への恐
怖と敵意を示しているのです。
以上、罪の内容で最も重要な点は天孫族が縄文族を侵略したための罪
だとおわかりいただけたと思います。だからこそ、天孫は部下達にこ
れらの罪を犯したとしても祓い清められるから心配いらないと申し渡
し、全軍の士気を保ったのがこの大祓詞の当初の目的だったのです。
仮に天孫族が武力でこの国土を征服したのが事実としても、私は天孫
や皇室を敵視はしません。
なぜなら私達は天孫族に日本語の言霊で縄文心を学ばせて日本人化し
て完全な仲間としているからです。
日本語の言霊の力はこの世で最も強い武器なのです。
後編では省略された太祝詞を補完した完成版をお伝えしてます ↓
ご精読ありがとうございました。
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