祓い戸四大神の考察
今回は祓い戸の大神はどこにお坐したかを推理してみます。
実在ではないとしてもモデルとされる神または人物がどのあたりにいらしたかの可能性を探るという興味本位の試みで、正確さを問うものではないことをお断りしておきます。
まずはイザナギの禊ぎ祓いが書かれている古事記をおさらいしましょう。
1古事記の払戸神たち
祓い戸の神は「古事記」でイザナギが禊ぎ祓いする時に沢山の名前が綴られていますね。
国学院大学の古典籍ビューワーだと詳しく見ることが出来ます。
竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に坐して、禊ぎ祓ひたまひき。
投げ棄つる御杖に成れる神の名は、衝立船戸神。
次に投げ棄つる御帯に成れる神の名は、道之長乳歯神。
次に投げ棄つる御嚢に成れる神の名は、時量師神。
次に投げ棄つる御衣に成れる神の名は、和豆良比能宇斯能神。
次に投げ棄つる御褌に成れる神の名は、道俣神。
次に投げ棄つる御冠に成れる神の名は、飽咋之宇斯能神。
次に投げ棄つる左の御手の手纏に成れる神の名は、奥疎神。
次に奥津那芸左毘古神。次に奥津甲斐弁羅神。
次に投げ棄つる右の御手の手纏に成れる神の名は、辺疎神。
次に辺津那芸左毘古神。
次に辺津甲斐弁羅神
十二神は、身に著ける物を脱ぐに因りて生れる神なり初めて中つ瀬に堕り迦豆伎て滌ぎたまふ時、成り坐せる神の名は、
八十禍津日神。
次に大禍津日神。
此の二神は、其の穢繁国に到りし時の汚垢に因りて成れる神なり次に其の禍を直さむと為て、成れる神の名は、神直毘神。
次に大直毘神。
次に伊豆能売神。次に水の底に滌ぐ時に、成れる神の名は、底津綿津身神。
次に底筒之男命。
中に滌ぐ時に、成れる神の名は、中津綿津身神。
次に中筒之男命。
水の上に滌ぐ時に、成れる神の名は、上津綿津身神。
次に上筒之男命
ここまでで21柱です?!
しかしこの沢山の古事記の祓戸の神たちは祓戸大神には含めないようです。
(天津祝詞では個々の名はひとつも挙げずに祓戸の大神たちと述べてますが)
さらに天照大御神、須佐之男、月読み命もイザナギが生むのです。
これってどうなんでしょうか?
そもそもイザナギが禊ぎ祓い清めるという特殊事態に男親のみで生まれるということが神話とはいえ不自然極まりないと思えます。
さらにメインキャラクターの天照大御神、須佐之男までが男親一人から生まれてしまう。
それに対して「上つ文」の禊ぎの場面ではイザナミと二人で祓い清めながら生むことで生命原理が貫徹されているので、むしろこちらが正統にすら思えます。
どうして「古事記」はこんな不自然な話を押し通すのでしょうか?
それはなんとしても出雲の地位を貶めたくて、そのそばにイザナミを幽閉した結果、離れた九州の地で孤独な禊ぎ祓いを創作するしかなかったということでしょう。
それが「古事記」の表のメインテーマに思えます。
さらに上つ文と比べるとイザナミの遺体を見て穢れたという理由も後から付け加えたものにしか思えません。
そればかりか本当の禊ぎの理由は別のことかもしれませんね。
もし元々の言い伝えがあるのならば払戸神社は日向の海岸に本拠社本宮があってよさそうなものですが、実際にグーグルマップで検索すると九州は鹿児島にひとつぐらいで圧倒的に奈良に偏っています。
しかも全国的にどこかの神社の摂社で祓い戸四神まとめてという小さなところばかりです。
次に祓い戸の大神たちを見ていきましょう。
2大祓詞の祓い戸四大神の祓い方
さて祓い戸の大神は「古事記」には登場しませんが大祓詞には四柱の神として登場します。
高山の末、短山の末より、佐久那太理に落ち、瀧つ速川の瀬に坐す、
瀬織津姫と云ふ神、大海原に持ち出なむ。
かく持ち出往ば、荒塩の塩の八百道の八塩道の、塩の八百会に坐す、
速開都姫と云ふ神、持ち可可呑てむ。
かく可可呑てば、気吹戸に坐す、気吹戸主と云ふ神、根の国底の国に気吹放ちてむ。
かく気吹放ちてば、根の国底の国に坐す、速佐須良姫と云ふ神、持ち佐須良比
失ひてむ。
以上から順番に、瀬織津姫、速開都姫、気吹戸主、速佐須良姫により次々と罪が渡されてゆく様子が描かれているのですが、肝心の罪はどういう形で渡されるのでしょうか?
ヒントは大祓詞の前段にある、天津金木、天津菅麻です。
天津宮事以ちて、大中臣、天津金木を、本打切り、末打断ちて、
千座の置座に置足らはして、天津菅麻を、本刈断ち、末刈切りて、
八針に取辟きて、天津祝詞の太祝詞事を宣れ。
天津金木は軸木の作り方、天津菅麻は御幣の作り方を指しています。
天津金木と天津菅麻を合体すると、神主が振る御幣になると考えられます。
これは紙に三つ切り込みを入れて四つにずらし折ったものを二組合わせて、八つに八針にさいたとなるわけです。
新川の社務所 さまに御幣の作り方が出ています。
大祓詞の元の形である「六月の晦の大祓」では一番最後に中臣氏はそれを部下の卜部たちに命じて川に流して始末させるのです。
「四国の卜部等、大川道に持ち退りて祓ひ却れ」と宣る。
そこから罪は八針に取り避いた紙状の依り代に移ると考えられているのだとわかります。
つまり罪の依り代を持って舟で川を下った瀬織津姫が海に流してしまう。
海に漂う依り代は見失われてしまうが、速開都姫は海水を全部飲むようにしてさらう。
そこで露出した海底に見つけた依り代を気吹戸主が風と共に根国底国まで吹き飛ばす。
すると速佐須良姫が依り代を拾い懐に入れて、放浪歩きするうちに落として失くしてしまう。
まるでマンガのような強引なストーリーですが、とにかく無事、罪の載った依り代は失われ消えてしまうのです。
3大祓詞の祓い戸四神の坐す所
それでは祓い戸四神をひと柱ずつどこにおられるか探してみましょう。
最初の瀬織津姫は古事記、日本書紀には名が見当たらないため封印されたとされていますが、大祓詞には先ほどの引用にも場所が書き込まれているから簡単です。
佐久那太理にぴったりなのが、琵琶湖から瀬田川を10キロほど下った、古来桜谷と呼ばれた土地にある佐久奈度神社です。
天智天皇八年(669)、八張口(桜谷)で修祓した地に神殿を設け、「祓戸大神三神」を祀ったのが当社の創祀。
ホツマツタヱによると
アマテルカミの妃に十二人の姫が選ばれたそうです。
その中でも純真な佐久那太理瀬織津姫ホノコの慈しみ深い心に惹かれ、
妃がやってくるのを階段の上で待つべきなのがアマテルカミは待ちきれず、階段を自ら降りて迎えたのです。
夫を意味する背が降りたことから背降りつ姫という意味で瀬織津姫と名付けられたのです。
同じように天下がるとも名付けられその場合の名は天下日前向津姫アマサガルヒニムカツヒメです。
やがてキミはムカツ姫を内宮にされた。
しかし後世、天照大神を自分の血統を守る女神にしたいので男神では困るという某帝が現れて、天照大神と瀬織津姫には古事記、日本書紀から姿を消していただいて天照大御神としたというわけなのです。
これが正史の正体です。
ではまったくのインチキかというと、女神として祀られてしまうとそれなりの霊力を持った存在になるようです。ただそれを企てた者はおそらく衆生の願いを永遠に聞き続けるというとてつもない責めを負うことに気付いてなかったでしょう。
謡曲「三輪」に「それ神代の昔物語は末代の衆生のため。済度方便の事業。品々もつて世の為なり」と作り話の言い訳をした後で、女神伊勢と男神三輪の神が一体分身と謡ってるのは実に暗示的です。
続いて二番手は速開都姫です。
琵琶湖から少し下った佐久那太理から一気に淀川を下って大阪の海に出ると
荒塩の潮の八百道の八塩道の、潮の八百会とだいぶ海を進んだ可能性があります。
ここでぐるぐるマップで神社を検索して主祭神がはやあきつ姫の社がないかを探してみました。
ようやくこれはと思えたのが讃岐國寒川郡 多和神社です。
讃岐國寒川郡 多和神社にはきちんとした伝がありました。
神代に祭神・速秋津比賣命が、多和郷の渚にやってきて、
「此水門は、はなはだ深くて、よき須美戸なり」と宣して鎮座した
漢字は違いますが、舟で港を見つけて満足されている様子はぴったりきます。
三番手は息吹き戸主です。
いぶきを探すとすぐヒットするのが滋賀県伊吹山、伊夫岐神社です。
日本武尊は西国と東国を平らげると、近江の五十葺山(伊吹山)に、荒ぶる神を征服しようと出かけた。ところがここで毒に遭ったのか病に倒れて亡くなります。その伊吹山が息吹き戸主の坐す所でしょう。
音が合ってるだけじゃないのと思われるかもしれませんが、この伊吹山は風の強いことで知られていて、昔は風を迎えるようにたたらがあったそうで、根国底国に気吹を放つ息吹き戸主の役割にぴったりです。
さて四番手は速佐須良比咩。
根の国底の国に坐すとあるのですが、これが難問です。
『古事記』の中では「根の国」と言った例はなく、必ず「根の堅州国」という言い方です。
これから根の堅洲国にいる須佐之男の係累と関連づけられることもあるようですが、今ひとつサスラの名前が出てきません。
調べても主祭神が速佐須良比咩の神社もありません。
根の堅洲国はどこにあるのでしょうか。
イザナギがイザナミの追手を封じた千引きの岩が二番手速開都姫の多和神社の南北に三つあります。地図では竹色のバルーン。一番上は黄泉平坂入口。四国まで根の堅洲国はまたがってるんですかね。
しかし根の国というからには、上には木の国があるべきですよね?
ハッ、もしかして紀の国、紀州かも。
そこで紀州の周辺まで捜索範囲を広げたところ
三重県津市河芸町大字東千里 尾前おざき神社がありました。
こちらが速佐須良比売命(ハヤサスラヒメ)を主祭神としてます。
垂仁天皇一八年、勅命によって今の千里ケ丘中尾前の地に神殿が建てられたというからかなり古いです。
思うに根の国は広いんです。紀州、伊勢から出雲まで地下に延々と続いているイメージです。そこで東の尾前神社あたりから光が差し込み入って行きますが、先を充分に照らせない細い灯を点じての道行、だから彷徨ってしまうのも無理はないし、懐の依り代だって落としてしまいますよ。
めでたしということで。
ご精読ありがとうございました。
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