私は勘違いのために毎晩不眠で孤独な少年になりました

医師に「手術しても治らない」と診断される

小学2年の時、明け方ひきつけを起こし大学病院に連れて行かれました。
脳波検査を受けた後に医師に「手術しても治らないから」と宣告されて
しまいました。
幼稚園ぐらいからマンガと百科事典を読んでいた私は手術こそ最高の治
療手段と信じていたため衝撃を受けました。
「僕は大人になる前に死ぬかもしれない、いやきっと死ぬんだ、ワーッ」
という思いで何も考えられなくなりました。

そういう絶望の時、人間はどんな表情になるか知ってますか?
ガクガク震えてしまう? 違います。
有名なムンクの叫びみたいに耳を覆う? 違います。

その時、私は声は立てませんがフッと笑ってしまったんですよ。
医師がこの子は理解できないんだなと考えてるのを感じました。
そうじゃないと言いたかったです。
ショックで悲しいのに笑ってしまう、という自分の想定外の心の動きに
たじろいでいたんですよ。

人間は極限の悲しみにある時、笑ってしまうものなのです

チェーホフが心の動きについてそう述べてるのを後に知りました。
さすがに人間心理の洞察に長けた作家ですね。

未来をあきらめた子供は孤独を愛するとうそぶきます

私は未来を見失いました。なにしろどう頑張っても大人にはなれないと
いう命の締め切りが出来たからです。
とはいえ自暴自棄のなり方もまだわからない小学校低学年ですから、学
校へは行ってみるし、人生が短いと思うから授業には集中します。
百科事典で知識の蓄えもあったので勉強は出来るようになります。

しかし内向きな性格はますます内向きになりました。
授業中、先生が質問を投げかけても答えを二回ぐらい暗誦してみてから
でないと手を挙げられませんでした。
好きなコがいても一対一で話すなんて出来ません。もし仲良くなってラ
ブラブになっても大人になる前に死んでしまうのでは相手を悲しませる
だけだと思い込んでいたからです。

不眠も毎日の習慣なのでした

そして寝床で不安と恐怖に怯えながら、誰とも恋愛できないし、結婚も
できないし、その前に死ぬんだと考えながら声を殺して泣くのです。
そのため全然寝付けずいつも寝るのは午前三時すぎです。
時には窓がぼんやり明るくなって、わあ、もう朝だとショックを受けま
す。すると脳が限界になりほんの二時間ほど眠れる。
そんな毎日でした。

「どうせ僕なんて」という言葉が自分の無意識にしっかりと根付いて何
かしようという時に自動的に真っ先に浮かんで来るようになりました。
私はいじめれはしませんでしたが、心はいじめられっ子のように孤独で
本当の夢や目標のない寂しい子供だったのです。

中学に上がっても私は相変わらず孤独でしたが勉強だけは上位に入るい
わゆる出来る生徒でした。すると先生も同級生も私をクラス委員にしよ
うとします。私は困惑です。
親友もガールフレンドもあきらめてる私がリーダーだなんてどういう罰
ゲームですか。しかし人間には自分という存在を認められたい欲望があ
るのだと実感しました。
他人の役に立つのは案外楽しいものなのですね。

医師は私の病気を誤診していました

年に何度か明け方に発作の前兆を感じることがありました。
それは喉の奥にビニールパイプがあるような臭いがするのです。健常者
には何を言ってるのかわからないでしょうが実際に臭いを感じるのです。
しかし薬のおかけで発作にはならずに済んでいました。

ところが中学後半頃から医師の処方した薬を忘れてもその前兆がまった
くないまま年月が過ぎるので変だなと思い出しました。
高校の時、私は大型書店で脳医学臨床の本を立ち読みして自分の症例と
全く同じケースを見つけました。
私の病気は頭骨と脳の成長とともに症状が消えるものだったのです。

しかし急に誤診だとわかっても、それまで死ぬと思い込んでた心は簡単
に切り替えられないものです。

無意識は手強いが、折り合い利用することを目指す

おかげで私は無意識の心の手強さを肌で感じました。
意識で変えようとしても(人が意識と言うのは殆どの場合表面意識の事
ですね)自分の基本的な性格や考え方、態度というもの望んだように変
わってくれません。

しかし、私はユング心理学の本を読んで集合的無意識を知りました。
そして無意識を他人や共同体と繋がる便利な道具として利用することも
可能かもしれないと思い直してみました。

自分の無意識にいかに自然体で向き合い、自分の手助けとなるように自
分が進歩することが人生のテーマであるのかもしれません。