カタカムナで瞑想する
カタカムナ人は真理を見極めていた
カタカムナによる瞑想をする前に、あまりにも特異な文字なのでそ
れを使っていたカタカムナ人がどんな考えを持ち、世界をどのよう
に捉えていたかを見ておきます。
彼らは現代科学のような杓子定規的な精密さや測定器は持ち合わせ
ていませんでした。しかし、心底素直な研ぎ澄まされた感受能力を
身につけていて、あらゆる自然、宇宙の有り様を、全て生き生きと
した生命の営みの現れとして受け取り記録することが出来たのでは
と思うのです。
具体的に言えば
以前の記事で宇宙背景放射が陰陽対極図にそっくりで、昔の偉大な
賢人が心の目で宇宙背景放射を感じ取って描かれたのではないかと
いう推理をしました。
私たちの科学常識からしたら一介の人間に宇宙の真相を測定する事
など不可能ですが、宇宙背景放射を感じ取った賢人のように、カタ
カムナ人も心の目で真理を直観することが出来たのだと思えます。
彼らは自分の感覚の限界など考えつく暇もないほど常に宇宙の全て
の無限の生命を感じ、自分の生命と分かちがたく繋がっていると感
じていたのに違いありません。
つまり私たちがようやく気付き始めた、文明が目標にすべき態度と
は利己に走りがちな分離意識を捨てて何事に対しても統合意識であ
たる態度だという事を、カタカムナ人は初めから獲得していたとい
うわけなのです。
全ての存在に繋がる生命と力を直観し、おそらくはどんな苛酷な事
態が起きようとそのままに受け入れていた彼らはもはや救いをすが
る対象としての神などを必要とせず生きていたのです。
彼らは物質化する前の潜象界の意匠や意図を純粋なままに受け取る
事が出来、それらの抽象的な形や作用や性質を分別して名付けてい
た筈なのです。しかもその名付け方は極めて簡潔でありました。
このように具象、抽象に渡る森羅万象のひとつびとつを崇敬の念を
もって名付けて謙虚な気持ちで理解すると、神様に頼んで結果を心
待ちにするような回りくどい方法を採らなくても、それは現象界に
具体的に創造化され彼らの実用生活を助けてくれた。これこそがカ
タカムナ文明の核心だと考えられます。
私たちもカタカムナ人の使っていた謡いを唱えることで、ダイレク
トに潜象界に働きかけ、求める答えや欲しかった結果を意外なほど
簡単に手に入れることが出来るかと思います。
心強い実践家もすでにいます。
丸山修寛さんは芦屋生まれ!で医師として活躍されてますが、カタ
カムナの実践家としてもセミナーなどを行い、現代医学に見放され
た数多くの患者さんを救っています。
丸山先生の基本姿勢は潜在意識に働きかけ、感謝し、潜在意識に手
伝ってもらうというものです。
丸山先生曰く、カタカムナの第五、第六首を唱えると誰でも周囲に
ミスマルノタマの高次元空間が出現する、そこの悪い部分を治すと
肉体が治るんだということです。
カタカムナを唱えて祈り瞑想し、高次元空間に働きかけ生活に役立
て、自分の願いを実現しましょう!
カタカムナの世界観を眺めてみる
カタカムナ人がどのように世界を眺めていたのかを、カタカムナの
相似象会誌4号からご紹介しましょう。
この世には「アらゆるはじマり」である有限なる始元量アマがあり
その微分アメの状態で宇宙全体に濃密充填されている。この様子を
カタカムナ人は観じることが出来た。
アメに濃淡があるとそこにウヅマキ流が起こり、それが光より速く
宇宙に波及する力をアマハヤミだと感得出来た。
アマを空間として言うときはマと呼び、これはトキ時とトコロ所の
発生源である。
但し現代人が考える空間とカタカムナ人の考える空間は全く違う。
現代人は物質と物質の間のカラッポが空間だと思っているが、カタ
カムナ人のマは目には見えないが、アマの微粒子マリが高密度で充
満して渦巻いている空間なのである。そのマリが凝集して原子核ア
マナとなり、物質へと変遷してゆくのである。
限定された宇宙球はタカマであり、星座のようにまとまった場はク
ラ、太陽系はヒコネクラである。
アマが結球となるとマリであるがそれらは目には見えぬ潜象状態で
マワリテメグル自転公転をし、宇宙全体に渦巻いている。
環境条件が整うとマリはイカツと呼ばれる電気粒子となって現象界
に存在を気付かせ、マクミやカラミと呼ばれる磁気や力の相を見せ
て、物質や天体をカタチづくる元素へ変遷してゆく。
カタカムナ人にとってカミは神というよりも川上のようなニュアン
スであり、眼の前の流れをカミへカミへと遡って未知なる本質を知
ろうとする思念であり、それが到達したサトリなのであった。
物質から見てのカミはアマであり、アマから見てのカミはカムにな
るという具合にそのものを見ると同時にカミへ思いを巡らすのがカ
タカムナ人の基本姿勢である。
一方、カムは「カタチが無で」見えぬという意味である。
潜象界には無限なるカムがあり、最小単位がカムナである。
カタカムナ人はカタチが見えなくても存在するという潜象に気づい
ていた。存在する限りチカラやヒビキを必ず伴うからである。
大量のアメの凝集した目に見えない巨大な核をフトヒと呼び、天体
を産むモトのヒである。対して現代人が太陽、恒星と呼ぶものはア
サヒと呼ばれる。
火山の火や落雷の火をヒと呼ぶのは、ヒの元にアマヒがあると直観
していたからです。アサヒの元はフトヒであり、フトヒの元はアマヒ
である。
このマトリョーシカ状態が相似象と呼ばれるのですが、なんとなく
私の苦手な数学用語風です。私はもう少しイメージが動的な「循環
包含」という言葉を使いたいと思います。大きなスケールでの運動、
形態、作用は小さなスケールでも成り立ち、逆の小~大のスケール
でも成り立つというものです。
ナナヨツナギの法則があり、極限が八であるのでその変遷の周期は
七でひとまず終わり次は代替わりになるとみます。十進法なら10に
9を足して次は代替わりの20になるので敢えて言えばココノツツナ
ギという意味合いかと。人間についても宇宙についても七による周
期性が様々な所に表れていると考えていました。
正反性とは例えば逆旋回のふたつの星座がもつ対称性であり、相似
象、循環包含として例を挙げれば地球には北半球と南半球があり正
と反に対称していてなおかつ中心部は重合して安定している。
足立育朗氏の「波動の法則」続編でも私たちの左回転時空と逆の右
回転時空は同時に存在して全く同じことをしているけれど、両者は
絶対に出会うことはないと述べており、興味深いです。
冒頭の十首を解読する
前々回記事は原文字を並べてみただけでしたが、いよいよ瞑想の準
備段階として文字の意味を眺めてみましょう。
本当は考察とか言いたいところですが、カタカムナ和訳辞書なんて
ないですし、相似象学会誌などの書籍と愛好家のサイトぐらいしか
参照できないので難易度高すぎです。
しかし日本人なら縄文カタカムナのDNAにより何かしら心に響く
点があるように思いますのでそこを頼りにしましょう。
(私の家系は江戸初期より前は不明なんですが、渡来人だとして
も七代以上混血してればほぼ大丈夫かなと思います)
具体的な瞑想法に入る前に、冒頭の十首を調べてどれが重要なのか
どれを瞑想に使うべきかを確認してみましょう。
カタカムナ文献は螺旋配置ですが、中心図像には3パターンがあり、
フトマニ、ヤタノカカミ、ミクマリと使い分けられています。
そして一番多いのがヤタノカガミです。
以下で注のない首は中心図はヤタノカガミになります。
それと濁点、半濁点、長音符号などの補助はありませんから
読む時に補う必要があります。
第一首
カタカムナ ヒビキ マノ スベシ アシアトウアン
ウツシ マツル カタカムナ ウタヒ
現代の感覚で適当に推理すると
カタカムナの音の響きは宇宙を統治する。
私アシアトウアンはこのカタカムナ謡いを書き写し(神社に)祀る
なんちゃって適当な場面を当てはめようとするでしょうが、この手
の現代の語感による邪推では本来の意味は失われている可能性が高
くなるに違いありません。
もちろん現代の日本人でも通じる点も残ってはいるでしょうが、純
朴なカタカムナ人と常識と教育で歪んだ現代の日本人では理解でき
ない部分の方が多いだろうと謙虚に向かうことが必要です。
ともかく時代の激変により結果的にカタカムナの真理は理解しづら
くなり結果的に守ることが出来ているのだと思われます。
神聖とはそういう帰結からなるものです。
しかし、カタカムナの真理は現代こそ生かすべきだとも感じます。
本来の意味に即するのは難しいですが、
「カタカムナ」
最初のちから「カ」が現象界と潜象界の間で生成を繰り返してゆく。
根源の「ヒ」を重ねて引き「ビキ」出し 宇宙の空間「マ」で、遷
移「ノ」する方向を示す「スベシ」
現象「アシ」は始元量「ア」の材の重合わせ「トウ」で生まれ安定
「アン」する
その時、潜象界と現象界の境界に渦として示され「ウツシ」、宇宙
の空間「マ」で存在を確定する「ツル」
以下は「カタカムナ」の神聖を言祝ぐ「ウタヒ」である
この謡いは由緒について述べるようにしながら、カタカムナの根本
原理マノスベシについて説明する二重構造のようです。
第二首
ヤタノカカミ カタカムナ カミ
極限回の現象化で遷移態勢に入った「ヤタノカ」は、形無き潜象カ
ムから遷移しした左旋回アワの「カ」と、現象アマから遷移した右
旋回サヌキの「ミ」であり、それは「カ」から独立「タ」した「カ
ムナ」の「カミ」でもある。
これはカムアマによる生命の根源のサトリである。
昔のカタカムナ人なら図を見て自然と「ああ、中心がヤタノカガミ
だな」とその意義まで意識に入ってくるのでしょうが、私たちの多
くは飾りにしか見えないと思います。
そこで私は中心画について謡う、この第二首も瞑想時の冒頭に唱え
て謡いの背景として思い浮かべるのがよいと考えます。
第三首 注 中心はフトマニ図
フトタマ ノ ミ ミコト フトマニ ニ
カムとアマの、フタツ「フ」の重合「ト」により発生した「タマ」
で、次々と変遷「ノ」してゆく。その遷移ノした生命体ミの実質は
「ミ」の繰り返し「コ」で重合「ト」されたミコトであり、フトマ
ニとして定着「ニ」される。
この歌は生命体のイノチ、ミコトは、左旋回カム(アワ)と右旋回
アマ(サヌキ)の二つが重合して発生したミコトだ、とフトマニの
サトリを示しています。
そのためフトマニ図を中心にして文字が螺旋に並びます。
第四首
イハトハニ カミ ナリテ カタカムナ
ヨソヤコト ホグシ ウタ
生命体を構成する最小単位の極微粒子イカツの正反「イハ」が、
重合するモノ「ト」の正反「ハ」によって、定着「ニ」されるのは
「カミ」(ヤタノカカミの「カ」とフトタマノミの「ミ」)が夥し
い「ナ」回数の対向発生「リ」によってヒタリ・ミキリテ「テ」の
正反の現象として)成り立つ
これがヒビキによって万象万物が発現する「カタカムナ」の法則で
あり、
これを四十八「ヨソヤ」の繰り返(コ)して重合(ト)された言葉
「コト」に分類「ホグ」して「シ」示したのが(次なる)「ウタ」
である。
なんだか、じゃあキミたちに日本語の基礎である48音をわかりや
すく分類して教えてあげるよと言われてる気分です。
やはり第五首、第六首は重要ということから、直前に宣言されてた
んですね。丸山先生も推奨している第五、第六首は必須です!
第五首
ヒフミヨイ マワリテ メクル ムナヤコト
アウノ スヘシレ カタチ サキ
「ヒ、フ、ミ」
「ヨ、イ」を自転「マワリテ」しながら公転循環「メグル」と、
「ム、ナ」となる。このように極限回「ヤ」まで繰り返し「コ」と
重合「ト」してゆく。
重合の蓄積「アウ」が繰り返し遷移「ノ」する方法「スベ」を示し
知らしめれ「シレ」ば、カムの見えない無限のチカラ「カタチ」が
微分(サキ)され増殖するということである。
第六首
ソラ ニ モロケセ ユヱヌオヲ
ハエツ ヰネホン カタカムナ
環境「ソ」の場に現「ラ」れて「二」定着し、「モロ」モロの自在
な変化性「ケ」を発揮「セ」して、万象に発現「ユ」し栄え「ヱ」
目に見えぬ「ヌ」生命体組織の根源「オ」のチカラを以て「ヲ」、
万物万象は、正反に「ハ」発生し、成長し繁栄して「エ」行くので
ある。その個々の「ツ」生命の重合「ヰ」の根源「ネ」の大本「ホ
ン」は、カタカムナなのである。
第七首
マカタマ ノ アマノミナカヌシ
タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマル ノ タマ
「マ」と「カ」の極小微粒子である「タマ」のノした変遷物がマガ
タマである。
(尚、マガタマは特殊な鉄で出来た七種の単玉であってアクセサリ
ー用途ではない。これは万物の生成消滅、相似象の原型であるとカ
タカムナ人は感得していた)
(現象界の極小微粒子であり最も重要である始元量「アマ」があり、
その「ノ」中「ミナカ」に見えないが(原子核のように)「ヌシ」
として潜在している、これがアマノミナカヌシである。
アマノミナカヌシの働きとしては
(アマナはカタチをとる)「タカ」の生命体「ミ」を発生する「ム
スビ」と、(潜象であるエネルギー等の)「カム」の生命体「ミ」
を発生する「ムスビ」である。
ミスマルノタマとは
生命体「ミ」の「ス」けた(透けて見える)潜象状態で空間「マ」
にとどまってい「ル」、「タマ」である。
これはすべての物に当てはまり、このミスマルノタマはマガタマが
単玉であるのに対して複数のフタヤタマ双珠形式となっている。
この首はマガタマ、アマノミナカヌシ、ミスマルノタマというカタ
カムナでも生命に密接で重要な三つのサトリが並ぶため、特に強い
パワーを感じます。瞑想に必須です。
第八首
ウマシ タカカム アシカヒヒコ トコロ チマタ ノ トキ オカシ
境界「ウ」から空間「マ」に「シ」示された「タカカム」は、様々
に変遷して「アシカヒ」に発現「ヒコ」した空間「トコロ」を微分
「チマタ」して「ノ」り変わって時粒子「トキ」となり根源「オ」
に位置を持って「カ」が「シ」示される。
カタカムナ人にとって時と空間は切り離せず一体だったのです。
第九首
アメノトコタチ クニトコタチ アメ クニカ ソコ ソギ タチ
カタカムナ マノ トキ トコロ トコ タチ
始元量アマの「アメ」が「ノ」遷移して共役「トコタチ」となるの
は、現象物質の粒子「クニ」との様々な共役「トコタチ」である。
これは「アメクニ」の「カ」の膨張・収縮「ソコソギ」のタチによ
るものであるが、それこそ「カタカムナ」の空間「マ」に「ノ」す
「トキトコロ」の共役「トコタチ」による対向発生フトマニである。
第十首
メグル マノ ミナカヌシ タカミムスビ カムミムスヒ
オノコロシマ カムナ ホグ アメ ツチ ネ ハシ マリ
自転する「メグル」空間「マ」から「ノ」した「ミナカヌシ」は、
「タカミ」を発生「ムス」させる「ヒ」であり、「カムミ」を発生
「ムス」させる「ヒ」であり、自ず「オノ」と物質化「コロ」して
示され「シ」空間「マ」となす。それは、「カムナ」の「ホグ」し
による、天地「アメツチ」の根源「ネ」の正反「ハ」に示「シ」さ
れた始まり「マリ」である。
十首の解読は以上になりますが、わかりにくいですよね?
ここは、自分がカタカムナの小学生だと考えたらきっと先生の言う
ままに書き写し音読するしかないですよね。だって大人たちは皆、
それでうまくいってるんですから。
まずは信じて瞑想して、自分の感覚で体験してみて下さい。
具体的なカタカムナ瞑想の方法
時間に余裕があるならば80首全て謡うべきなのでしょうが、現代
人にそこまでの暇はないでしょう。
最小単位として第二、第五、第六、第七の四首程度を謡っていただ
ければ私たち日本人のDNAの片隅に遺されているカタカムナ人の
感性、態度が体感とともに蘇り、実生活に役立てるきっかけとなり、
時には高次意識からの啓示を受けられるのではと思います。
さらに良い方法が単に謡うだけでなく最初に書くという行為を入れ
て書き上げたものを見ながら謡うと効果が高まります。
暗記したカタカムナを唱えるだけですと、記憶中枢 → 言語中枢
→ 発声中枢となりますが、台紙に配置されたまわりめぐる〇の
中に自分の手でカタカムナ文字を書き込むことにより視覚中枢 →
言語中枢 → 手指神経中枢 → 発声中枢とより同時多層的に
意識を働かせることになり、より強いパワーを受け取れる事が可能
になると考えられます。
書く時は印刷したカタカムナ書込み用画像の螺旋〇に中心図のすぐ
上から外に向かって一字ずつ書いてゆきます。
螺旋に一首ずつ書いた方がいいのかもしれませんが、まずは片側に
第二首を書き、反対側に第五、六首をつなげて書込み、第二首に戻
ってその続きに第七首を書いていくと一枚で四首が収まります。
また謡う時は両手の人差し指を肩の高さぐらいに立てる丸山先生の
推奨するポーズをしながら、書き上げたカタカムナ文字を眺めつつ
唱えるとよいでしょう。
(もちろん最初のうちはカタカムナではなく仮名を見ないと唱えら
れないでしょうが、回数を重ねるうちにそらで言えるようになりま
すからゆったり構えていきましょう!)
第二首
ヤタノカカミ カタカムナ カミ
(書くのは一回、謡うのは三回)
第五首と第六首
ヒフミヨイ マワリテ メクル ムナヤコト
アウノ スヘシレ カタチ サキ
ソラ ニ モロケセ ユヱヌオヲ
ハエツ ヰネホン カタカムナ
(書くのは二首連続で一回、謡うのは三回)
第七首
マカタマ ノ アマノミナカヌシ
タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマル ノ タマ
(書くのは一回、謡うのは三回)
カタカムナ文字を書き込み用画像を作成しました
Windowsの方は図の右クリックで名前を付けて保存
Androidなら 画像の長押しでギャラリーに保存
iPad ならタップしてイメージを保存
iPhoneならタップして上にスライド、イメージを保存
中央図はヤタノカガミになります。
まわりめぐる〇は48個、とりあえず十首までは不足しません。
第五、六首で48個と思ってたら最後のカタカムナの5字は48字
から除外されており慌てて53個に増やしました(汗)
2023/ 4/30加筆
片野貴夫先生が「カタカムナ文字のひふみ祝詞は【時計回り】に描いてあるのは罠」と仰ってます。
そういえば私も料理する時は左回り反時計回りにかき混ぜます。
陸上競技も左回り反時計回りの方が走りやすいそうです。
ということで従来の画像を修正しました。
A4サイズで用紙横向き、縮小を用紙サイズに合わせる設定で印刷
すると1ページに螺旋図がふたつ並んでくれると思います。
印刷は機種依存が大きいのでうまく印刷できない場合はそれぞれの
マニュアルを探すなどして各自でご対処下さい。
ご精読ありがとうございました!
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